- 左: 鏡野町 (©Pakutaso/Kazukihiro) / 右: ヌシャテル(©Swiss-Fly/Boris Bron)
- 奥津渓谷(©鏡野町)
- ペスタロッチ広場、イヴェルドン・レ・バン
鏡野町 ― イヴェルドン・レ・バン(1996年)
中国地方 | 鏡野町
姉妹都市
17世紀の先駆的教育者はどのようにスイスと日本を新たな友好憲章へと導いたのでしょうか
中国地方の精神
旅慣れた旅行者は岡山県北部の鏡野町に必ず立ち寄ります。岡山県立森林公園の景色、奥津渓谷の紅葉、恩原高原スキー場でウインタースポーツ三昧など、この地域は一年中旅行者を楽しませてくれます。歴史ある温泉やジューシーなトマトベースのラーメンが自慢の鏡野町は、中国地方の魅力と伝統を今に伝えています。
観光以外にも、鏡野町にはとても活発な地域活動があります。地域の活性化と調和のとれた発展のために住民は努力を惜しみません。そして、これこそが、スイス人先駆者の教育技法が鏡野町の学校に導入された理由なのです。
「知」、「徳」、「体」
1995年、地域教育を発展させる運動の一環として、町役場は鏡野町総合計画に「知」、「徳」、「体」、つまり、知識と技術と道徳のバランスという新たな教育理念を加えました。新理念を広く知らしめるため、町はかつてこの理念を発表し、教育学の基礎を築いたスイス人にあやかって、「日本のペスタロッチタウン・鏡野」というキャッチフレーズを使っています。
ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(1746-1827)は近代教育に大きな影響を与えた教育者であり社会改革者です。哲学者たちから刺激を受けたペスタロッチは、すべての人間は学ぶ能力と権利があるという信念を持ち、読み書きのできない人を無くすために人生を捧げました。彼のおかげで、積極的参加、生徒中心の取り組み方、教科横断学習などの技法が世界的な教育基準となったのです。ペスタロッチの方法のほとんどは彼の学校で試され、学校にはヨーロッパ中から訪問者、教育者、生徒が集まりました。1805年、学校はスイス西部のイヴェルドン・レ・バンに移転しました。
身体と精神のために
ジュラ山脈とブロイエ丘陵、そしてヌシャテル湖の間にあるイヴェルドン・レ・バンはスイス最古の町の一つで、原始時代の巨石遺跡や中世の城が6千年の歴史を表しています。また、この地域は古くから癒しの場として有名です。ローマ時代の硫黄泉を利用した人気の温浴スパ施設から、グランデ・カリセー自然保護センターの何千種類もの動植物まで、この町はリラックスして瞑想するのに最適な場所です。
イヴェルドン・レ・バンはその豊かな文化的・知的遺産でもよく知られています。ペスタロッチの学校が置かれていた13世紀のサヴォイア城には地域の様々な歴史的展示品があり、興味深いスイス・ファッション博物館もあります。現在、このスイス人教育者の功績は、彼の教育と理念を世界中に広めようと活動しているペスタロッチ資料館で顕彰されています。
ペスタロッチの理想に結びつけられて
鏡野町は1994年以降、ペスタロッチとその教育技法に関する情報収集のため職員を何度かイヴェルドン・レ・バンに派遣しました。この度重なる派遣のおかげで自治体同士の関係が確立され、その後まもなくオリヴィエ・ケルネン町長が鏡野町に招待されました。1996年10月7日、スイス人教育者の生誕250周年記念日に、ペスタロッチの教育を推進することを目的として、イヴェルドン・レ・バンにおいて両町の友好憲章が締結され、かつて彼の学校が置かれていた町役場で記念式典が開催されました。
それ以来、ほぼ1年に1度の割合で多くの鏡野町民と数えきれないほどたくさんの子供たちがイヴェルドン・レ・バンを訪れています1997年には、友好の発展と、スイス・日本両国民の社会正義・進歩・平等への共通理解の象徴として、鏡野町役場の前、ペスタロッチホールの隣にペスタロッチの像も建立されました。