• 翠州亭 (©長柄町)

翠州亭(旧スイス大使館)

関東地方 | 長柄町

都心でスイス大使館として用いられていた壮大な別邸が、現在は千葉県の料理店に変身。その経緯とは?

スイス式「禅」

翠州亭 (©長柄町)

千葉県の長柄町ふる里村の中央に、際立って美しい檜造りの和食料理店があります。築90年、741平方メートルあるこの関西風造形の別宅は、大きな禅庭とツツジをはじめとする豊かな草木に囲まれています。ここを訪れた人は、純日本風な雰囲気の中で上質の懐石料理が味わえる … 少なくともそういった場所に見えます。

翠州亭 (©長柄町)

実はこの別荘には少しばかり歴史があることが、敷地内にあるいくつかのヒントからうかがい知ることができます。たとえば、庭園の隣にはラク・レマン・プールと名付けられたプールがありますが、これはスイスにあるジュネーブ湖 (英語:ジュネーブ湖、フランス語:レマン湖 Lac Léman)に由来しています。しかしこれよりもっと明白なのは、この和食料理店の名称が「翠州亭(旧スイス大使館)」であるということです。でもスイス大使館は東京の中心部にあるわけですから、この建物はいったいどういう関係なのでしょうか?それを説明するには、昭和の初めにまで溯る必要があります。

翠州亭 (©長柄町)

ゼロから建設

後に最初の在日スイス大使館になるこの別邸は、もともと貴族院の議院でビジネスマンでもあった近藤滋弥(日本郵船株式会社の設立者、近藤廉平の後嗣)によって、1930年に東京の広尾町に建てられました。京都の荘厳な桂離宮をモデルにした3,000m2 もの建築物は、日本の名高い建築家佐野利器と高橋貞太郎が設計し、伴仲信次が建設を担当しました。

三田の旧スイス公使館 (©Gorgé Family)

太平洋戦争中、日本で米国と英国の利益代表国を務めていたにも関わらず、スイス公使館は連合国最高司令官の命により、占領期間中 (1945-1952) 解散させられたため、日本にいることが許されたのはごくわずかのスイス外交団のみでした。公使たちが戦前、東京の三田に借りていた建物はすでに爆撃により焼失したため、スイス人の外交官たちはこの広尾町の邸宅を事務所として借りることにしたのです。1952年には公使館として認められた後、57年には大使館となり、同邸宅は1963年にスイスの在日代表機関により購入されました。

千葉県での再生

1977年、より新しく近代的な大使館の建築がスイス連邦により決定されました。それまで使用していた別宅の文化的価値と歴史的重要性を認識していた当時のスイス大使 (1975-1980) ピエール・キューヌーは、この貴重な建築物が失われることがないよう、保護に取り組む決意をしました。この桂離宮に似た建築物を不動産企業である日本土地改良株式会社に寄贈した際、彼は明確な指示を残しました。それは、この別邸を完全に組み立て直しし、当時スイスのグランヴォーと姉妹友好都市の提携交渉中にあった、ふる里村に再建するということでした。

南麻布にある現在のスイス大使館 (©在日スイス大使館)

1978年11月、こうして以前の大使館は千葉県の中心部に移設され、間もなく登録有形文化財に指定されました。現在の大使館は1978年10月31日の開設以来、移転していませんが、同大使館スタッフは頻繁に翠州亭を会場として年間行事を催しています。そして訪れるたびに、その建物はかつての輝かしい外交ムードを取り戻すかのようです …