• ©北海道大学山岳部
  • ©北海道大学山岳部
  • ©北海道大学山岳部

ヘルベチア・ヒュッテ

北海道 | 札幌市南区

北海道の標高550mにある山小屋には、日本とスイスの深い歴史的つながりが詰まっています。

山奥へ

(©北海道大学山岳部)

北海道の人里離れた場所に、スイスに関するものがあるなんて想像できるでしょうか?実は、札幌から西へ車で1時間ほど進むと、朝里岳、余市岳、白井岳からさほど離れていない白樺のうっそうと茂る定山渓線そばの森林の中に、スイスと深く関連した歴史を持つ山小屋、ヘルベチア・ヒュッテがあります。

(©北海道大学山岳部)

北海道大学が所有し、同大学山岳部(AACH)が管理するこのロマンチックな山小屋は12人を収容することができ、夏期冬期を問わず週末の小旅行用として学生向けに貸し出されています。古いラテン語でスイスを意味するこの名称(ヘルべチア)の他にも、シャッターとドアにはスイスらしい赤と白の模様が施され、ドア上部にはエーデルワイスの彫刻が誇らしげに掲げられています。しかし一体、ヘルベチア・ヒュッテとスイスにはどのような関係があるのか?それを説明するには、昭和初期にまで時間を溯ることになります。

(©北海道大学山岳部)

課外活動

チューリヒ州プフェフィコン出身の若き教授アーノルド・グブラー(1897-1983)は、1923年から1932年にかけて札幌の北海道大学で教職に就くため日本に移住しました。ともにスキーを愛し、少しホームシックにかかっていた彼とその妻のマドレーヌにとって、北海道はスイスらしい彼らの趣味を満喫するにはもってこいの場所となりました。そうして2人はすぐに札幌地区で初のスキーツアーを主催し、この地域の冬季観光の発展に間接的に寄与しました。

(©北海道大学山岳部)

1927年、グブラーは快適さと実用性を求め、スイスの建築家マックス・ヒンダー(1887-1963)と彼の友人の山崎春雄教授(1886-1961)の助けを借りて、木造の山小屋を建てることにしました。翌年、ヒンダーは秩父宮雍仁親王(ウィンター・スポーツの愛好家でおられた)からのご依頼を受け、空沼小屋という同様の山小屋を建設しています。いずれの小屋も多くのハイカーや登山者たちが宿泊し、スイス人も日本人も、この山小屋で思い出に残る時を共有しました。

(©北海道大学山岳部)

ヒュッテから歴史の発展

グブラーがスイスに帰国してから2年後の1934年、同山小屋は北海道大学に寄贈されました。このスイス人教授の功績をたたえ、山小屋は正式に「ヘルベチア・ヒュッテ」と命名されました。以来、北海道大学はかなりの労力と資源をこの歴史的遺産の保存に充てており(1985年に全面改装実施)、北海道は国内外の観光客を魅了するウィンター・スポーツのメッカとなりました。

(©北海道大学山岳部)

さらに2012年、アーノルドの息子のベルンハート・グブラーが、ヒュッテの建設85周年と彼の父の功績を祝うため日本に招かれ、北海道大学山岳部の数十人のメンバーとともに祝典に参加しました。そこから新たな友情が芽生え、このヒュッテとマックス・ヒンダーに関する極めて詳細にわたる歴史報告書がAACHによって発行されたことにより、スイスと北海道の絆と相互理解がまた一歩前進したのでした。

(©北海道大学山岳部)