• 京都府大山崎町 (©大山崎町)
  • 宝積寺 (©大山崎町)
  • 山崎合戦古戦場碑 (©大山崎町)

大山崎町(2021年ホストタウン)

関西地方 | 大山崎町

「アン・ガルド(構え)」!大山崎町とスイスは共にフェンシングをし、2021年への道で築いたユニークなパートナーシップを祝福します。

天王山

歌川貞秀(1863)| 「太平記之内 山崎合戦競先陣図」

大山崎町は京都の中心から南に15キロ離れた天王山の麓にあります。1582年、豊臣秀吉はこの地で天下分け目の山崎の合戦に勝利し、その後、日本統一を成し遂げました。それ以来、町には平和な時代が続き、江戸時代初期には文化の興隆が見られました。現在では、外国人観光客が宝積寺や観音寺を訪れたり、国宝の茶室、待庵のある妙喜庵で瞑想したりする姿が見られるようになりました。

宝積寺 (©大山崎町)

しかし、今後何年かの間は、赤地に白十字の見慣れない旗をたくさん引き連れて、大山崎町に剣が戻ってくるのを見て旅行者は驚くかもしれません。でも怖がることはありません。戦いはとっくに終わっています。町にやってきたのはオリンピックのフェンシング競技です。

ユングフラウヨッホの思い出

2016年、大山崎町は2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、スイスのホストタウンになることを決めました。大山崎町とスイスとの関係は1910年まで遡ります。この年、関西の裕福な実業家だった加賀正太郎氏(1888-1954)は、スイスで最も象徴的な山の一つであるユングフラウ(4,158メートル)に登頂した最初の日本人になったのです。

アサヒビール大山崎山荘美術館 (©大山崎町)

帰国後、加賀氏は大山崎町にスイスの山小屋風の別荘を建て、それが後にアサヒビール大山崎山荘美術館になりました。彼の子孫は今もスイスに住んでいて、大山崎町を訪問したこともあります。このつながりを基に、大山崎町は2016年にスイスのホストタウンに応募し、双方合意の上でフェンシングに焦点を当てるという賢明な戦略的決定を下しました。

剣と握手

フェンシングは大山崎町で人気の種目です (©大山崎町)

両国でとても人気のあるフェンシングですが、少なくとも15世紀半ばからこのスポーツを現在の形で行ってきたスイスには優れた選手が大勢います。1953年以降、スイス人フェンシング選手に授与されたメダルの総数は、オリンピックで8つ、世界選手権とヨーロッパ選手権で85です。

2018年、日本側の町は将来の姉妹都市提携も念頭に置きつつ、京都フューチャーフェンシングクラブとモルジュ・フェンシングクラブとの協力関係を築くため、モルジュとの交渉を始めました。スイス人選手はオリンピック大会に向けて大山崎町体育館を自由に利用することができます。

スイスが町にやってくる

2021年東京オリンピック・パラリンピック競技大会以前から大会期間中にかけて、東京以外の住民と諸外国、来日するオリンピックチームの間で教育ならびにスポーツ面の交流を促進することを目指して、日本政府は2016年にホストタウン事業を立ち上げました。事前キャンプ、ショーケース、講演、ワークショップ、フェスティバルが大山崎町全域で開催され、スイス人選手と地元住民が出会い、交流し、2021年以降も続く新しい絆を生み出すユニークな機会を提供します。新たな友人となったスイスの文化を住民に知ってもらうため、町は2016年と2017年に2度のスイス・フェアを開催し、いずれも成功を収めました。

2017年2月: ジャン=フランソワ・パロ大使が大山崎町を訪れ、山本圭一町長と面会 (©スイス外務省)

同様のイベントは日本国内の他の4都市、福島市、大分市、富士市、つくば市でも同時期に開催されます。この特別なパートナーシップのおかげで、スイスと日本の友情は一層の活力と創造力を伴って2021年以降の時代を迎えます。