- (左: ©品川区 / 右: ©ジュネーヴ市)
- スイスのジュネーヴ (©ジュネーヴ市)
- 東京都品川区 (©品川区)
品川区 ― ジュネーヴ(1991年)
関東地方 | 品川区
姉妹都市
梵鐘をめぐる19世紀後半の驚くべき試練が、東京の区とスイスで最も国際的な都市を姉妹提携へと導きました。
経由地から経済の中心へ
17世紀初めに江戸と京都を結ぶ東海道五十三次の最初の宿場として知られていた品川区が東京の一部になってから長い年月が経ちました。現在、かつての素朴な建物の多くは、首都の躍動する経済を誇らしげに象徴する近代的な高層ビルに姿を変えています。
区と同名の鉄道駅(所在は港区)の他にも、この特別区には様々な店舗や美術館(原美術館など)、地域の神社仏閣などがあります。寺社の中で最も有名なのはおそらく品川寺(ほんせんじ)でしょう。図らずもその歴史は、スイスと日本の間で最も活発で感動的な姉妹都市関係の一つを築くきっかけになったのです。
品川寺の梵鐘の物語
1867年、日本は大きな政治的変革の渦中にありました。同年、真言宗醍醐派の品川寺は火事で焼損し、さらに200年の歴史を持つ梵鐘が紛失したことは地域住民を大いに落胆させました。梵鐘が再び姿を現したのは6年後、スイスのアーラウにある鋳物工場でした。美術品収集家のギュスタヴ・ルヴィリヨ(1817-1890)は間一髪で梵鐘を手に入れ、自身がジュネーヴ市内に所有するアリアナ美術館の庭園に永久展示しました。
1919年、日本人学生からの情報のおかげで、日本人外交官によって品川の品川寺の梵鐘と正式に確認され、地元議会との間で品川への返還交渉が始まりました。このスイスの都市は当時すでに世界トップクラスの外交の中心地へと変貌していたのです。
国際都市ジュネーヴ
アルプス最大の淡水湖の岸辺にある140メートルの高さの噴水で知られるジュネーヴはスイス第2の大都市であり、世界最高の生活水準を誇る都市の一つです。市内に数多くある埠頭、湖岸の遊歩道、公園、水上タクシーからは山々の風景を楽しむことができます。
ジュネーヴには豊かな歴史と躍動する文化があります。サン=ピエール大聖堂や宗教改革記念碑など、宗教改革におけるこの都市の役割を思い出させるものが数多くあります。哲学者ジャン=ジャック・ルソーが生まれた旧市街の中世の雰囲気も忠実に保存されています。現在では、世界的に有名なアーティストがジュネーヴのコンサート会場で演奏し、パテック・フィリップ・ミュージアム(時計製造の歴史)やジュネーヴ美術・歴史博物館がスイスの伝統の多様な側面を展示しています。
さらに重要なのは、歴史上ジュネーヴが国際外交における拠点だということです。昔から人道主義の伝統と国際主義的傾向があったため、「平和の首都」という名で呼ばれるようになりました。1863年にアンリ・デュナンによって創設された赤十字国際委員会から国際連合欧州本部(旧国際連盟)まで、この都市には現在200以上の主要な国際機関が本部を置いています。その中には国際赤十字・赤新月博物館のように、双方向性のある展示を行って来場者を楽しませているところもあります。
二つの大陸、同じ音色
1930年、ジュネーヴ当局は聖なる鐘の返還に同意し、梵鐘は品川寺に意気揚々と帰還しました。仲田順海住職は、再発見された聖遺物が太平洋戦争時の東京への空襲から寺を守ってくれたと信じました。
その何十年か後の1976年、順海氏の子息の仲田順和氏は、ジュネーヴ市民への感謝のしるしとして梵鐘の複製を贈るという、長く懸案になっていた家族プロジェクトのための資金集めを始めました。1991年秋、新しい梵鐘を贈呈するため僧侶と品川区民がジュネーヴを訪れ、鐘はアリアナ美術館の庭園に再び設置されました。そして9月9日に両自治体は友好憲章に署名しました。翌年、両自治体間の文化、経済、観光、スポーツに関する交流を支援するため、ジュネーヴ・品川友好協会が創設されました。
それ以来、数年毎に大規模な訪問団が派遣され、地元家庭でのホームステイを体験するため多くの学生たちが日本とスイスを旅する機会を与えられ、梵鐘の音が毎日聞こえています。これらすべてが、両国の国民にジュネーヴと品川の前進し続ける友情を思い出させるのです。