• ©国立西洋美術館

国立西洋美術館

関東地方 | 東京都台東区

極東にあるル・コルビュジエの唯一の傑作建築!

収蔵品を輝かせる美術館

オーギュスト・ロダンの《カレーの市民》。鋳造された12点のうち1点が美術館の前に設置されています。(オーギュスト・ロダン 《カレーの市民》 1884-88年(原型)、1953年(鋳造) ブロンズ 国立西洋美術館 松方コレクション)

開館に際してニューヨークタイムズのジャーナリストが、芸術作品に匹敵する「芸術的意義と美しさ」を持っていると評した、上野公園にある国立西洋美術館(NMWA)は、間違いなく日本で最もユニークなアートギャラリーの一つです。1955年に、松方幸次郎が収集した美術品を収蔵することを日本政府から委託されたその美術館は、スイス出身の建築家シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ、別名ル・コルビュジエによって設計されました。彼の3人の弟子である前川國男、坂倉準三、吉阪隆正もこのプロジェクトに積極的に関与しました。

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NMWAは「公共建築百選」、「ユネスコ世界遺産」や重要文化財に選ばれており、ロダン、マネ、モネ、ルノワールといった重要なアーティストの作品を収蔵する、建築の歴史に残る建物として広く知られています。

その建物について

ル・コルビュジエ、1964年 (©Nationaal Archief / Joop van Bilsen - Anefo)

1959年に設立されたNMWAは、ル・コルビュジエの数十年の経験による成熟の頂点とも言えます。「近代建築の五原則」(ピロティ、屋上庭園、自由なファサード、自由な間取り、水平連続窓)から「モデュロール」(人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法の数列)まで、ル・コルビュジエの主要なコンセプトや技術の大部分を上野で知ることができます。

ル・コルビュジエ「無限成長美術館」、1939年

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さらに、そのプロジェクトには、先見的なル・コルビュジエが部分的にしか実験していなかった「無限成長美術館」というもう一つの革新的なコンセプトが取り入れられることになりました。螺旋状の回廊が特徴的なその建物では、19世紀ホールから途切れることなく鑑賞の旅を続けることができます。また、収蔵品の数が増えていくにつれて、外側へと展示室が追加され拡張されることも考慮されていました。つまり、芸術と空間的限界の力関係が反転する可能性もあったのです!

スイスの遺産とも言える建物

20歳のシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ、ミュンヘンにて

ル・コルビュジエ(1887-1965)はスイスのラ・ショー・ド・フォンで生まれました。10代は同地の美術学校で学び、彼にとって初めてとなる建築プロジェクトを手掛けます(こちらについては現在でもガイドツアーで見学できます)。その後、ウィーンやベルリン、パリを訪れ、建築や装飾美術の新しい潮流に出会うことになります。1918年に「純粋主義」(論理的な根拠に基づいた芸術の創造)という新しい運動にふれつつ、オーギュスト・ペレやペーター・ベーレンスの下で建築を学んだ後、自学をスタートしたのでした。

ロンシャンの礼拝堂 (フランス、1950-1954)

1920年代後半より、大胆かつ革新的なプロジェクトにより、建築家として彼の名は広く知られることになります。彼の最も有名な作品または携わった作品については、限りがないほどあるものの、以下のものが含まれます:ポワシーのサヴォア邸(フランス、1928-1931)、マルセイユのユニテ・ダビタシオン(フランス、1947-1952)、ニューヨークの国際連合本部ビル、ロンシャンのロンシャンの礼拝堂(フランス、1950-1954)、チャンディガールのキャピトル・コンプレックス(インド、1951-1965)。

ニューヨークの国際連合本部 (1948-1952)

マルセイユのユニテ・ダビタシオン (フランス、1947-1952)

ユネスコ世界遺産に登録されたチャンディガールのキャピトル・コンプレックス (インド、1951-1965)

彼が遺したものとその影響力は母国スイスで非常に重要視されており、彼の肖像画とチャンディガールのプロジェクト図は、スイスで最も使用率が高いとされる10スイスフラン紙幣に使われました。

前の10スイスフラン紙幣にはル・コルビュジエの肖像が使われていました