• (©Pino Musi)

ワタリウム美術館

関東地方 | 東京都渋谷区

渋谷区には数多くのランドマーク的建築がありますが、それでもなお、スイスの著名な建築家マリオ・ボッタによる日本で唯一の建築物は目を引く存在です。

特別なアートのための特別な建築物

(©Pino Musi)

表参道と原宿エリアから徒歩数分の場所にあるワタリウム美術館は、現代美術、写真、彫刻やデザイン等の発信基地です。独特な建物の中で、チューリヒ美術館のハラルド・ゼーマンら著名なキュレーターによる坂本龍一やマイク・ケリーそして草間彌生やゲイリー・ヒールなど国内外の現代美術家の作品展が定期的に開催されています。2005年に開催されたスイスの現代美術展「テンポラリー・イミグレーション展」などで、スイスの作家も定期的に取り上げられています。

(©ワタリウム美術館)

アートの世界における新たな声を育む場でもある美術館は、場所を問わず重要なものを示すという意味で、地域性も国際性も有しません。日本の首都において特にユニークな外観の建物のうちの一つが、スイス人建築家のデザインによって出現することになったのもこの考え方によるものです。

三角の地に建つ美術館

ワタリウムのアクソノ メトリック投影

ギャルリー・ワタリ(1972年12月開館)を前身とするワタリウム美術館は、その創始者である和多利志津子(1932-2012)により、1985年に美術館の建設プロジェクトを開始。和多利志津子の招待を受け、現地を視察したスイスの著名な建築家マリオ・ボッタはその依頼を快諾し、彼の日本での初となる建築プロジェクトをスタートさせます。

ワタリウムのセクションと製図(©Mario Botta Architetti)

3,650 m3の三角地に1988年から1990年にかけて建てられたワタリウム美術館は、大通り、脇道、小さな後方部、といった3つの異なる空間状況に接しています。正面は、コンクリートに黒い石材で横縞が施され、館内への入り口部分は、非常用階段の切り抜かれたシルエットに合うコーナーに設けられています。この非常用階段が建物の外に押し出されたため、側面に展示スペースを得ることが可能となりました。また正面上部の円形の窓を備えたコンクリート製の円筒には、技術上の設備が収納されています。

(©Pino Musi)

美術館は、地上5階から地下1階まで、ひとつのエレベーターでつながっています。3フロアが展示スペースとして使用され、限られたサイズにも関わらず、明確なレイアウトのためにより広い使用が可能です。特別な景観を持つ東京にありながら、ワタリウム美術館は、1960年代後半からマリオ・ボッタが展開してきた視覚的アイデンティティとその哲学との一致を見せています。

(©Pino Musi)

スイス南部ティチーノから世界へ

1943年4月1日、スイスのイタリア語圏のメンドリージオで生まれたマリオ・ボッタは、イタリアで建築を学び、ル・コルビュジエとルイス・カーンの下で助手として働いた後の1970年、ルガーノに自身の事務所を設立しました。

建築家マリオ・ボッタ(©Matteo Fieni)

それ以来ボッタは、建築はその時代の鏡として機能するという考えから、歴史と人の生息地への研究に時を費やしました。近代主義とテンデンツァと呼ばれる新合理主義派からインスピレーションを得た彼のスタイルは、近代建築運動の美的ルールの中で、伝統的な建築的象徴主義との調和を企てるものです。このスイス人建築家は、地形的条件や地域性への配慮でも特徴づけられ、彼のデザインは一般的にクラフトマンシップと幾何学的秩序を重視しています。

スイスのサン・ジョバンニ・バチスタ教会、1996年(©Enrico Cano)

当初こそ、彼の活動はスイス国内に限られていましたが、ルガーノのカプチン会修道院図書館やバレルナのクラフト・センター、そしてフリブール州立銀行などのプロジェクトにより国際的な称賛を受け、現在でもスイスを訪れるあらゆる建築愛好家にとって「必見」の建築物であると見なされています。

スイスのモンテ・ジェネロソにある「Fiore di pietra」(石の花)(2017年)

1970年代の後半になると、彼の建築に対する評価はより確かなものとなり、1980年代には、サンフランシスコ近代美術館やイタリアのトレント・ロヴェレート近現代美術館(MART)などに代表されるように、世界中から依頼を受けるようになりました。今日では、世界中のどの都市を訪れても、スイスの建築家のあの縞模様を見つけられるほどです!

サンフランシスコ近代美術館(1995年)