• アレッチ氷河, 2018年 (©ミシャ・ギューリック)
  • (©玉川アルプホルンクラブ)
  • (©玉川アルプホルンクラブ)

玉川アルプホルンクラブ

関東地方 | 厚木市

ベルニーズアルプスから日本アルプスまで、アルプホルンの響きは世界共通の言葉です。

大山でスイスのメロディーを

(©玉川アルプホルンクラブ)

神奈川県に行くことがあれば、よく耳をすませてみてください。「天使の声」が聞こえるかもしれません。信じられないかもしれませんが、ここにはスイス音楽を演奏する日本最大のクラブの一つ、玉川アルプホルンクラブ(TAC)があるのです。スイスの民俗音楽を愛する日本人のグループが中川重年氏を会長として1989年に厚木市の片隅で設立したクラブは、その起源を何百年も前に遡る長い円錐状の管の響きを通じて、スイスアルプスの精神を日本に伝えています。

スイスの中心で誕生

スイスアルプスの音楽家たち、1900年頃

スイスで初めてアルプホルンが記録に登場したのは16世紀半ばのことです。当時は、牧童たちが牛を小屋に呼び集めるため、また搾乳時に牛を落ち着かせるために使われていました。その後、この楽器は各地の谷にいる牧童の間の通信や信仰集会のために欠かせない道具となっていきました。19世紀初頭になって、それまですっかり流行から外れてしまっていたアルプホルン音楽の可能性を再発見したベルニーズアルプスの才能ある演奏者たちのおかげで、アルプホルンは新たな人気を得ることになり、スイスの偉大なシンボルの一つとなったのです。

中川重年会長は優れたアルプホルン製作者です(©ミシャ・ギューリック)

(©玉川アルプホルンクラブ)

伝統的な手法に倣って曲がった松の幹で作る場合も近代的な素材で作る場合も、アルプホルンの管を作るには約70時間かけて木材を切削し、厚さ4ミリから7ミリにします。それから締め具で固定し、楽器を安定させるために小さな木製の脚を付け、籐を巻き付けます。現代では、息と音色をうまくコントロールするためにマウスピースが付けられます。

アルプホルンをめぐる国内外の動き

2009年: スイスのヴィンテレグでシュビーツェレルゲリを演奏(©玉川アルプホルンクラブ)

TACメンバーの熱心さは有名です。アルプホルンを自作し、山岳地方の衣装を着てスイス関連のイベントで頻繁に演奏し、ビュッヘル、ヘクセンシェイト、シュビーツェレルゲリなどスイスのあらゆる民俗楽器をマスターし、スイスの文化や伝統を学び、スイスヨーデル協会との交流のため定期的にスイスを訪れています。彼らの演奏活動のうち特筆すべきは2005年の愛知万博での演奏、スイスのネンダで開催されたスイス国際アルプホルンコンクール、2011年の東日本大震災被災者のための慈善コンサートなどですが、その他にも日本、スイス、韓国、中国の数え切れないほど多くのイベントで演奏しています。TACがあまりにも有名になったため、スイス人映画監督のミシャ・ギューリック氏は2017年に彼らに関する52分の長編ドキュメンタリーを製作しました。

2017年: ミシャ・ギューリック氏がドキュメンタリー「バンザイ、スイス」を撮影(©玉川アルプホルンクラブ)

他にも日本各地にアルプホルン奏者がいることを忘れてはいけません。北海道から九州まで全国に点在する何十ものクラブや小さな愛好会の中心的組織として、2005年に全国手づくりアルプホルン連盟(AHAHA)が結成され、200名近い会員がいます。連盟のおかげで演奏者たちは簡単に公演情報を連絡し、アルプホルンの製作方法を交換し、地域の催事で協力し合うことができます。また、連盟ではこの山岳地方の楽器を手作りする様々な方法を説明した「アルプホルン作りハンドブック」を発行しています。

2019年には、スイス・日本両国の人道的活動と協力を称えるために駐日スイス大使館が主催する「人道的活動のためのパートナー」プログラムの枠組みの中で、数十人の日本人アルプホルン奏者たちが記念コンサートを行う予定です。また、TACは2021年東京オリンピック・パラリンピック競技大会への道におけるスイス大使館の重要なパートナーですから、あなたの地域でも「天使の声」を聴けるかもしれません。

2009年: ユングフラウ鉄道での即興コンサート(©玉川アルプホルンクラブ)